4月22日
思慮なき言葉の暴力…感染者を「殺人鬼」とは
(昨日のつづき)
さらに同日(4月18日)のもう一件の記事。大阪府泉南市の市議が自身のフェイスブックに「感染者は、殺人鬼に見える」と投稿し問題になっていることが報じられています。
ヘイト
これは、市議会議員が自ら発信したネット情報ですが、同じ市議としてなんともなさけない、やりきれない気がします。同じ市民の感染者をさして殺人鬼呼ばわりとは…。
感染者は女子高校生で、若者が「あっちこち動き回って」感染を広めており、自分のような高齢者から見ると殺人鬼だ、という要旨ですが、なんと浅はかな思考回路でしょう。
分別のない若者を諫(いさ)める趣旨で発したものか。だとしたら恐ろしく言葉について不勉強と言わざるを得ません。この言葉がどれだけ人を傷つけるか、考えもしないで使った、そして「感染者の個人情報が公表されていないことに対する問題提起」として高齢者の声を代表するかのようにネットで公表したという思慮のなさ。
感染した人がいちばん苦しく切ない思いをすることが、また、誰もが図らずもどこかでウイルスを背負い込み、どこかでかだれかに感染させる可能性を有していることが分からないのか、またそれがいつ自分の身にふりかかるか分からないのか、と悲しくなります。
感染した女子高校生本人が自分が「殺人鬼」とされたことを聞けば、感染の厄災の上に一生心の傷として残るでしょう。たとえ仮に感染の経緯に若者としての軽率な行動があったとしても、この市議に彼女を「殺人鬼」と誹(そし)る権利などどこにもありません。これはあきらかに「ヘイト」です。
しかしいま、感染した人を「おまえが悪いのだ」と詰(なじ)る傾向は、とくにネット文化の上に当たり前にあるように感じます。長野県が市町村名公表をしない慮(おもんぱか)りの理由もその辺にあるのでしょうが、本質的にそれではだめなんじゃないか、と、同じ日に出た新型ウイルスに関する4件の記事で、いろいろ考えさせられた次第。